がんばってきたあなたへ贈るトイアンナの「生きづらさ」診療所 13
こんにちは、トイアンナです。生まれて初めて顔で評価されたのはいつのことでしょうか。私は小学校で嫌われている女子と仲良くしただけでいじめに巻き込まれ「ブス」と教室の椅子を投げつけられたとき。そしてもう1つは同じ小学生時代に「かわいいからオマケしてあげる」と屋台でみたらし団子を増やしてもらったとき。
片方からはブス扱いを受け、誰かからはかわいいからと優遇される。正直、どちらも気持ち悪かったです。こんな風に「かわいい・ブス・かわいい・ブス」と周囲は好き勝手にあなたへ評価を下します。時にはそうして待遇が大きく変わることすらあって、いずれにせよ自分の内面的な価値が失われたような気持ちになります。
もううんざり、と思った私はしばらくしてインターネットに逃げ込みました。ここならかわいい扱いも、ブス扱いも受けずに済むだろうと。
ネットでもブスとは言われる
当時はインターネットで仕事をしていないほんの子供だった私ですが、結局ネットでもかわいい・ブスの評価からは逃げられませんでした。変なことを書き込めば「どうせブスのくせに」とバッシングされ、ネット上の友達からは「きっと○○ちゃんって、かわいいんだろうな」と期待されたからです。顔も出していないのにとやかく言われなきゃいけないのかと、当時の私は苦しみました。
けれど、そのうち真実が見えてきました。顔も見ていないのに私をブスだとののしる人は、自分の思うままにならない相手が許せないのだと。逆にかわいい、美人だと信じる人は自分と同じ意見の人がそうだと信じたいだけだ、と。つまりみんな自分が大好きで、美しいと信じたくてしょうがないのです。
自分と違う意見の相手は醜く見えて、同じ意見だと美しく見える。それに気づいたとたん、思わずモニターの前で笑ってしまいました。私はブスでも美人でもなかったのです。ただ、大多数と同じ意見を言えば美人扱いを受けられただけなのです。
あなたへかけられる「ブス」ももしかすると…
あなたもきっとそうじゃないか、と私は思います。人の美醜は本来、そう簡単に判断できません。写真写りがいい人、小動物のような動作がビデオ撮影で映える人、夕暮れに凛とした姿が麗しい人と、人によって美しい姿は違うから。
あなたがもし「ブス」だとののしられるなら、それはもしかすると単に「俺・私と違う意見を言ういけ好かないアイツ」として捨て台詞をぶつけられているだけかもしれません。そしてあなたは、自分をブス扱いする人間なんかと一緒にいなくてもいいのです。
トイアンナとは?

人気コラムニスト, ライター。ブログ『外資系OLのぐだぐだ』をはじめ、 人の生きざまを分析する文章でファンを獲得し月間50万PVを記録。
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