がんばってきたあなたへ贈るトイアンナの「生きづらさ」診療所 101
著/トイアンナ
こんにちは、トイアンナです。私の人生を一言でまとめたら「失敗」になるでしょう。それくらい過ちの多い人生でした。
人生最初の失敗なんて、卑屈で情けない。小学校3年生のときです。ポッキーを食べていたとき「1袋ちょうだい」と友達にせがまれました。それくらいやれよ、と思うんですがポッキーって箱に数袋しかないんですね。その一袋をあげるのを渋ってしまった。そのせいで友達を一人失いました。ここまで些細なことで友情を失っている人間、日本中見ても私くらいでは?
■間違っても、人生は続いていく
それからもくだらないことで手から大事なひとを取りこぼしてきました。公立中学へ進む親友がいたのに、虚栄心に負けて中学受験。しだいに文は途切れました。別に公立中高からだって、大学受験はできたのに。 と、こうやって一つずつ人生を振り返ると誰しも思うはずです。「こんな私の人生、間違っていたんじゃないか」と。 けれどそんなことはありません。人は誰でも過ちを犯します。むしろ誰も傷つけたことのない人間なんて、ちょっと怖くありませんか? 誰しも後ろめたい過去のひとつやふたつ、あるってものじゃないでしょうか。
間違ったことをしても、人生をまるっと「間違っていた」と結論付けなくてもいいんです。
■ 成長するために、過ちを与えられたという考え方
話は少しそれますが、私は留学時に宗教学を専攻していました。キリスト教や仏教、イスラム教と各宗教を比べる学問なのですが、キリスト教の考えで「これは信仰心がなくてもいい考えだな」と思ったものがあります。それは、「人間界があるのは、成長を学ぶため」という教えです。
キリスト教の天国は善しかない世界ですから、これ以上良くなりようがありません。人間界はその点、失敗ができます。失敗できて、成長できる。だからこの世界を神はあえて作ったのだ――。私はキリスト教徒ではありませんが、この考えはなかなかポジティブでいいじゃん、と思ったものです(失礼)
そう思うと、過ちは私たちに必要なことに見えてきませんか。間違ってもいいんです。いくらでも間違えて、そこから学びましょう。そこから立ち上がるとき、あなたは少なくとも「間違った人生」なんか歩まないひとになれるのですから。人があなたの人生をどうののしろうが、歩むのはあなたです。最後まで歩ききったときに振り返って「悪くなかった」と言えたなら、それが正解でしょう。たとえデコボコ道があっても、今からどう歩くかで、あなたの人生はどうとでもなるのです。さあ、一緒に歩いていきましょう。
トイアンナとは?
人気コラムニスト, ライター。ブログ『トイアンナのぐだぐだ』をはじめ、人の生きざまを分析する文章でファンを獲得し月間50万PVを記録。
http://toianna.hatenablog.com/
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